ジャケットの内ポケットから、美羽が大事にしていたしおりを出してみせると、真里奈さんの表情は変わった。きっと、彼女は何かを知っているのだ。だけど、小桃さんの手前言えないのだろうか。その時、タイミングよく小桃さんの携帯が鳴り部屋を出て行く。二人きりになったタイミングで真里奈さんは、口を開いた。「なぜ紫藤さんがこれを持っているんですか?」先月からコマーシャルが流れている。「実は最近流れているコマーシャルの仕事で再会したんです」「そうだったんですか? そんなこと一言も言ってなかった」「情報解禁できるまで言えなかったのではないでしょうか?」なるほどというような顔をした。「これは美羽の口から言うべきかもしれないですが、おせっかいかもしれないけど、もしあなたが今でも美羽を愛しているのなら言いますが?」真剣な口調で言うから、俺も真剣にうなずいた。「愛しているから、こんなに必死なんです。俺が芸能人じゃなきゃ、会社の前で待ち伏せしたいですよ。でもそんなことをしたら、美羽にも会社にも迷惑かけてしまう。美羽の気持ちもわからないし……」必死で言うと、真里奈さんは厳しい口調で問いかけてくる。「なんであの時、迎えに来なかったの? そんなに芸能界に残っていたかったわけ?」そんなふうに思うのも仕方がないだろう。キツイ口調なのも、美羽を思ってのことだと理解できるから、受け止める。「想像を超えるパパラッチがいたし、行きたくても行けなかったんです。それでも落ち着いた頃実家に行ったこともありましたが、お母さんに美羽の幸せを願うなら、現れるなと。悔しかったけど、俺は身を引くことが一番だと思っていたんです。それなのに、再会してしまって。勝手に子供を降ろされて憎んでいたはずなのに、俺はまだ美羽を愛していると気がつきました」一気に言うと、真里奈さんの表情が少し和らいだ。「信じますよ。あなたの、言葉」「ええ」一呼吸置いた真里奈さんは「赤ちゃんです」と言った。「赤ちゃん……?」「産みたくて守ろうとした赤ちゃんは、お腹の中で……亡くなったんです」「……堕ろしたんじゃなく?」金属バットで殴られたような、すごい刺激が頭を走った。堕ろしたんじゃ……ないだと?「残念ながら、亡くなってしまったみたいなんです。手術をして退院した日に、咲いていた花だったみたいで。『はな』って名前
+東京でのライブが明日に迫っていた。真里奈さんに会ってから何度か電話をかけているが一度も出てもらえなかった。今日も、俺は番組の収録をしている。頭の中は美羽のことでいっぱいで、胸が痛い。明日、もしも会えたらなんて言おう……。二人きりになれるのだろうか。せめて、子供のことだけでもお詫びしたい。「では、続いてのVTRを見てみましょう」明るい声でふって映像が流れているのを見つめるが、ワイプ撮影もあるから気を抜けない。驚いた顔をしたり、うなずいてみたりしている。……美羽。早く、会いたい……。ライブの当日、リハーサルをして本番に向けて精神の統一をしていた。楽屋でテンションを上げつつ、時間が来るのを待っている。美羽は現れるだろうか。ソワソワする気持ちを落ち着かせるため、深呼吸をした。「いつになく緊張してるな」メンバーの赤坂が声をかけてくる。「そうかな。普通だけど……」自分の緊張が表に出ているのか。なんだか恥ずかしくて身を隠したい気分になった。「甘藤の社員さん、ライブ終了後に挨拶にいらっしゃるから挨拶来てもらいますね」池村マネージャーが俺に伝える。「わかった」その社員の中に、美羽がいますように。もし、会えたら……。どうか美羽の心に届いてほしい。気合いを入れてステージへと向かった。
美羽side社長室に呼ばれた私と杉野マネージャーは、何事かと思いながら目を合わせた。こじんまりとした社長室で、社長の前に並んで立つとにっこりとする。「COLORのライブスポンサーになっただろう。行きたいのは山々なんだが、どうしても外せない接待があってね。チケット、三枚届いてるから、コマーシャルを作ったキミら二人と、誰か社員を連れて行きなさい」「しかし、役職者の方でどなたか行かれたほうが……」杉野マネージャーが言う。「いやいや、堅苦しい雰囲気になるからね。まかせたよ。それとだね。孫が紫藤大樹のフアンでね……サインを貰えたらもらってきてくれないだろうか?」顔を赤くしながら、フアンという社長が可愛く見えた。ファンじゃなくて、フアンって言うところが妙にツボに入った。社長室を出ると、杉野マネージャーがポツリと言う。「とことん、初瀬と紫藤大樹は縁があるんだな」「え?」「俺はあんまり賛成したくないけど、初瀬が今でも思っているなら素直になれば? フラれるかもしれないけど」着信拒否をしてテレビに映る大くんの姿から目をそらしていたけれど、やはり辛い。エレベーターの前にたどり着いた杉野マネージャーは、振り返らずに言葉を続ける。「熱愛報道あるだろう?」その通りなのだ。同じマンションで愛を育んでいると書いてあった。「失恋したら慰めてあげるから。なーんてな」おどけたように言うから、ついついにこっとしてしまう。「杉野マネージャーらしくないですよ、そういうキャラ。マネージャーはもっと紳士でいてほしいんです」「そっか。紳士ねぇー」到着したエレベーターに乗り込む。私と大くんが出会っていなければ杉野マネージャーと、お付き合いしていたのかもしれない。それほど、素敵な人だけど、やっぱり私は大くんを忘れられない。「ライブのチケットどうしよっか。争奪戦になるよな。平等にクジかな」「そうですね」「俺らはコマーシャルを作った関係で行かなきゃなー。いい音楽歌ってるし、楽しみだな」「……はい」会えたとして、二人きりで話す時間はあるのだろうか。部署に戻ってあみだくじを作る。女子社員はキャッキャ言いながらクジを選んでいた。「やったあ!」当たったのは、千奈津。私と仲良しの千奈津に当たってよかったと安堵した。でも、千奈津にも大くんとのことは言っていない。「ね
その夜、真里奈からの着信が入っていて仕事を終えた後、かけ直す。この前の呑み会に行けなかったから申し訳ない。小桃さんにもたまに会いたい。大学時代に小桃さんを真里奈に紹介したら仲よくなったんだよね。あの二人、おせっかいで親切なところが似てるんだ。温かい気持ちでコールを鳴らしていると、出てくれた。「もしもし、真里奈。ごめん」『相変わらず、仕事大変なのね』「うん。この前、ごめんね。小桃さん元気だった?」『あぁ、うん。あのね、謝らないといけないことがあるんだ』深刻そうな声を出した真里奈。一体、なんだろう。「なに? どうしたの?」『実は……小桃さんと飲んでいたら紫藤さんが入ってきてね。はなのしおりの秘密を聞かれたの』「……うん」『本当は美羽の口から聞かせるべきだったのに……ごめん……教えてしまった』「どこまで言ったの?」『本当は産みたかった。そしてお腹の中で天国へ行ってしまったということまで全部伝えちゃった。彼はきっとまだ美羽を愛しているよ』「そっか。ありがとう」ずっと隠していたのにあっけなく本人に知られてしまったことには複雑な感情に陥ったが、自分で言えなかったことを友人の真里奈が伝えてくれたのだ。どんな気持ちで言ったのか私にはわかるから、真里奈を責める気にはならなかった。『美羽に会いたがってたよ』「そっか」『仕事で会ってたんだね。情報公開までは言えないから苦しかったね』「うん。言えなくてごめんね」子供のことを聞いて、大くんはどんなふうに思ったのかな。少しは私への憎しみが消えたかな……。憎まれ役でいいと思っていたのに、善人に見られたいって思うなんて私は自分勝手な人間だな……。『着信拒否してるんだって?』「……うん。もう少し心の整理がついたら電話しようかなって最近決心がついたの。その前にライブに行くから、直接会っちゃうかもしれない」駅に向かって歩いていると、大くんがモデルになっている時計の広告がある。それを思わずじっと見つめた。『それでね、小桃さんにもいろいろと教えちゃった……』「そっか。言いふらすような人じゃないから、いいよ。いろいろと気を使わせてごめんね」『美羽。幸せになりなよ』「ありがとう」電話を切って深呼吸をする。あの頃はお互いに子供だったけど、今はもう大人。ちゃんと判断できる年齢なんだから、大丈夫だ
+「きゃー、テンション上がる!」ライブ当日があっという間に来てしまった。千奈津は朝からテンションが高い。私は冷静さを保つように、何度も深呼吸をしていた。仕事を早めに切り上げて向かう予定になっている。「ね、楽しみだよね?」「あ、うん。でも、仕事だから」でも、内心は口から心臓が出てきそうなほど、バフバフしていた。十七時開場の十九時開演。大きな会場でコンサートをしてしまうほど、大くんは有名になったのだ。「今日は十六時半に会社を出るぞ」杉野マネージャーが、業務の一環というような口調で言う。「了解しました」千奈津は、愛想のいい返事をしたけど、杉野マネージャーが遠ざかって行くとこちらを見る。「ギリギリじゃない?」不満を漏らしていた。コンサート会場に着いた私たちはスタッフに声をかけると、関係者席へ連れて行かれた。「終了後にご挨拶させていただけますか?」杉野マネージャーが聞くと、ご案内に来ますと言ってスタッフは去って行く。「ヤバイ、近くで見れちゃうってわけ?」千奈津がはしゃぐ。まるで女子高生みたい。真ん中に千奈津が座り、私と杉野マネージャーが挟むように座った。関係者席は、スタンド席にあってステージからは遠い位置にある。けれど、会場を見渡すことができる眺めのいいところだ。圧倒的に女性客が多い。デビューしてから十年は過ぎているから、お姉さん系も多いけど、まだまだ女子高生からの人気もあるようだった。パイプ椅子に座っていると、関係者が数人案内されていた。会場内に流れているのは、COLORの曲ではなくダンスミュージック。早く出てこないかとワクワク感をかき立てる曲なのに、私は緊張している。まるで、身内がステージに立つような気分だ。ステージが暗くなると、黄色い声援が爆発する。「キャー」悲鳴に近い声の中、私たちは関係者席ということもあって大人しく座って見ている。ヒット曲のイントロが流れると、更に観客の声は大きくなった。そして、COLORが登場すると夢の世界へ一気に連れて行かれるような感覚に陥る。体がふわっとしてCOLORの世界観に一気に引きこまれた。気持ちが高揚するなんていつぶりだろう。COLORの曲をしっかり聞いたことはなかったけど、売れている曲ばかりだったから自然と耳に入ってきていて。どの曲も楽しめた。会場が一体になってい
今日のこのステージを見せてもらえたことで、心から納得した気がする。コンサートはアンコールも含めてあっという間の三時間だった。会場のお客さんの満足そうな顔を見ながら待っている。「いや、すごかったな」杉野マネージャーがやや興奮した口調で言う。千奈津は頬を真っ赤に染めて「これから、COLORメンバーに会えるんだよね」と興奮していた。ドクドクドク。釣り合う二人じゃないのにどうしてドキドキするのだろう。赤ちゃんのことを知った大くんは、どんな気持ちだったかな。今日は、はなのしおりを返してもらえるだろうか。「お待たせしました」ぼんやりと考えていた頭に声が降ってくる。スタッフさんが迎えに来たようだ。「では、ご案内いたします」立ち上がって後ろを着いて行くと、たくさんのスタッフが慌ただしく動き回っていた。一歩ずつ歩いて行くと、その中でも賑わっているお部屋がある。「こちらに、いらっしゃいます。マネージャーを呼んできますのでお待ちください」頭を下げて立ち去ったスタッフさんを見送ると、千奈津が肩をポンポンと叩いてくる。「ヤバイ」完全に仕事だってこと、忘れているみたいだ……。「甘藤様お連れしました」スタッフさんが言うと、池村マネージャーが軽く笑顔を向けて近づいてきた。「お久しぶりです」挨拶をしてくれる。杉野マネージャーと私と千奈津が頭を下げると、事務所の方が来て挨拶してくれた。声が聞こえてビクッとなる。その声のほうを見ると大くんがいた。COLORのメンバーもいる。大くんは、スタッフさんや来客に笑顔を向けながら話している。ライブを終えたばかりなのに、対応しなきゃいけないんだ。大変そう。杉野マネージャーに名前を呼ばれて慌てて笑顔を作る。「いい、コンサートだったよな? おい、初瀬」「は、はい」ビクッとして思わず大きめの声で返事をしてしまった。……視線を感じる。大くんがこっちを見た。慌てて目線を下げる。ドドドドドド……。心臓が痛いほど鼓動を打つ。近づいてくる足音に手のひらは汗でびしょびしょだ。「お久しぶりです。甘藤の皆さん来てくださったんですね」さわやかな声が耳を撫でる。大くんのピッカピカの笑顔を間近に見て逃げ出したくなった。杉野マネージャーが挨拶を終えると、千奈津も頭を下げる。「その節はありがとうございました」ビジネス
「もう、すっごく素敵でした」千奈津が言うと赤坂さんがにっこりと笑って対応してくれた。気をよくした千奈津はどんどん話しかける。「杉野マネージャー? おお! お久しぶりですね」男性が話しかけている。偶然過去に仕事にお世話になった人らしく、話が盛り上がっている様子だ。そんな中で突き刺すような視線を感じ、その方向を見ると大くんと目が合った。その場から動けなくなったみたいに、私の体は硬直する。まるで金縛りのような感じだ。ゆっくりと近づいてくる大くん。一体、何をしようとしているのかな。胸が締め付けられるように痛くなり、泣きそうになった瞬間――手首をつかまれて廊下へと連れて行かれた。歩く速度が速くてあっという間に人が少ないところへ連れて行かれる。ところが、遠くからはスタッフ達の声が聞こえるほどの距離だ。壁にドンと背中を押しつけられる。「会いたかった」声を震わせながら言われ、その声に胸がわしづかみにされたような衝撃が走った。「美羽、疑ってごめんな。……子供のこと……。やっぱり、美羽は産もうとしてくれてたんだな」「……真里奈から聞いたんだね」「ああ。もっともっと美羽といろいろ話がしたい。今日は打ち上げがあって遅くなるかもしれないから、明日にでも電話をする。だから着信拒否、解除してくれないか?」「でも、大くんと話をしたら……過去を思い出して気持ちが溢れてしまうかもしれない」「それでいい。俺は美羽を」紫藤さーん、と探している声が聞こえる。私は咄嗟に隠れようとしたが、大くんは顔をぐっと近づけてきた。「着信拒否解除してくれないなら、今ここでバラしちゃうよ? 俺らの過去を。たくさん、スタッフがいるしいい機会だし」そんなの、いきなり過ぎて心の整理がつかない。本気で言っているのだろうか?昔から大くんはちょっぴり意地悪で強引なことを言ってくることがあった。ぼんやりしている私にはそこが魅力的に感じる部分でもあるのだけど。「さあ、どうする? あと数秒で見つかっちゃうよ?」私の顎のラインを親指で優しく撫でて、艶やかな微笑みを向けてくる。それだけのことなのに、心臓が激しく乱れるのだ。「美羽。過去を思い出して怖いのは同じだよ。でも、俺は美羽といろいろと語りたいんだ」真剣に言ってくれるその言葉が、胸にじんわりと広がっていく。過去に怯えていてはいけない。勇
「どこ行ってたの? 探したのよ」千奈津に心配されて私は嘘をついた。「ごめん、お手洗いに」杉野マネージャーは、疑わしげな目で私を見ている。が、あえて何も言われない。「じゃあ、挨拶も終わったし帰ろうか」「夢のような時間だったなぁー。本当に素晴らしいねCOLORって」千奈津は心からの感嘆の声を上げていた。そう言えば……、社長から頼まれていたことがあった。バッグから色紙と油性ペンを出す。社長からのお願いだし忘れたことにできない。「杉野マネージャー、社長から頼まれていたサインどうしましょう」「言いづらいけど、初瀬から頼んでみたら? 紫藤大樹さんに」意地悪。そう思ったけど、口には出さずに言葉を飲み込んで大くんに近づいていく。大くんはスポーツドリンクを飲んでいた。近づいていくスーツ姿の私は、明らかに浮いていて目立つ。「あの、私どもの社長のお孫さんが紫藤さんのファンでして……もしよければサインをしていただけますか?」「ええ、もちろん」言ってペンを受け取る瞬間、指が触れて落としてしまった。たったそれだけなのに身体にじわりと汗をかいてしまう。そこに池村マネージャーが来る。「サインや写真は遠慮していただきたいのですが」冷ややかな口調で言われ怖気づく。「いいじゃない。スポンサーの社長さんのお願いだよ?」大くんはさり気なくかばってくれる。「しかし」そこに杉野マネージャーが近づいてきた。「ご無理を言って申し訳ありません」場を和ませてくれた。大くんは「一枚だけですよ」と笑顔で言ってスラスラっとサインを書いて、渡してくれる。優しすぎると感動していると、池村マネージャーは不機嫌な顔をした。明らかにマネージャーの顔じゃなく、女の……嫉妬に満ちたような表情にびっくりした。――池村マネージャーも、大くんを……男性として見ているのかもしれない。「ありがとうございました。失礼します」一礼をして顔を上げると大くんは、にこっとしてくれた。本当に電話をくれるだろうか……。大くん、またね。私たちは頭を下げて出て行った。
「じゃあ、まず成人」赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。「……俺は、作詞作曲……やりたい」「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」社長は優しい顔をして聞いていた。「リュウジは?」社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」「いいじゃないかしら」最後に全員の視線がこちらを向いた。「大は?」みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。「俳優……かな」「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。「映画監督兼俳優の仕事。しかもで新人の俳優を起用するようで面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」社長が質問に答えると赤坂は感心したように頷く。「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。ずっと私から彼女は俺らのことを思ってくれている。芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとすればお腹が大きくなってきているので動きがゆっくりだ。ドアが開くと彼は近づいてきて私のことを抱きしめる。「先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「給食食べる?」「あまり食欲ないから作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであんまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくて思わず作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。「イチゴだ!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べて、子供の話をしていた。その後、ソファーに並んで座った。大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「元気に生まれてくるんだぞ」優しい顔でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくるとは思わなかったのだ。「名前……どうしようかなって考えてるの」「そうだな」「はなにしようかなと思ったけれど……『はな』は『はな』なんだよ。お腹の中の赤ちゃんははなの代わりじゃない」大くんは納得したように頷いていた。「それはそうだよな」「画数とかも気になるしいい名前がないか考えてみるね」「ありがとう。俺
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたことが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった 。しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。あまり落ち込まないようにしよう。大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。食事は、軽めのものを用意しておいた。入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。いつも帰りが遅いので平気。私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。
赤坂side「話って何?」俺は、結婚の許可を取るために、大澤社長と二人で完全個室制の居酒屋に来ていた。大澤社長が不思議そうな表情をして俺のことを見ている。COLORは一定のファンは獲得しているが、大樹が結婚したことで離れてしまった人々もいる。人気商売だから仕方がないことではあるが、俺は一人の人間としてあいつに幸せになってもらいたいと思った。それは俺も黒柳も同じこと。愛する人ができたら結婚したいと思うのは普通のことなのだ。しかし立て続けに言われてしまえば社長は頭を抱えてしまうかもしれない。でもいつまでも逃げてるわけにはいかないので俺は勇気を出して口を開いた。「……結婚したいと思っているんだ」「え?」「もう……今すぐにでも結婚したい」唐突に言うと大澤社長は困ったような表情をした。ビールを一口呑んで気持ちを落ち着かせているようにも見える。「大樹が結婚したばかりなのよ。全員が結婚してしまったらアイドルなんて続けていけないと思う」「わかってる」だからといっていつまでも久実を待たせておくわけにはいかないのだ。俺たちの仕事は応援してくれるファンがいて成り立つものであるけれど、何を差し置いても一人の女性を愛していきたいと思ってしまった。「解散したとするじゃない? そうしたらあなたたちはどうやって食べていくの? 好きな女性を守るためには仕事をしていかなきゃいけないのよ」「……」社長の言う通りだ。かなりの貯金はあるが、仕事は続けていかなければならない。俺に仕事がなければ久実の両親も心配するだろう。